高次脳機能障害と私
高次脳機能障害とは何でしょう?
高次脳機能障害とは
脳卒中や交通事故などによる脳の損傷が原因で、脳の機能のうち、言語や記憶、注意、情緒といった認知機能に起こる障害を高次脳機能障害と言います。注意が散漫になる、怒りっぽくなる、記憶が悪くなる、段取りが悪くなる、などの症状があり、全国に50万人くらいと推定されています。
後遺症は人それぞれ、様々ですが後遺症として思い当たる節があります。
今日ブログを書いていて初めて後遺症だったのかもと思うところもありました。
プロフィールにも簡単に書いていますが、私は16歳の頃事故に遭い、脳に傷が入り、脳が少し出ていたそうです。
性格も事故前とは異なります。後遺症といえば、他の人よりも、人の顔と名前が一致しないのと、長期記憶に少なからず障害があり覚えようとしなかった事や、インパクトの大きい事以外は、人よりは残りにくいと思います。
後はブログを書いてて気付いたのが、凝り性という程ではありませんが、一つの事にこだわりやすいときあります。
人の顔と名前が覚えられない人とか物忘れの激しい人って結構いるじゃないですか。
側から見ると普通なので、中々理解してはもらえないのも高次脳機能障害の特徴です。
事故前のようにとはいかなくても、覚えないといけない事はメモしたり記憶に留めようとするとどうにかなっています。
事故による外傷
そんな事故当時の事は全く覚えていません。
脳挫傷、くも膜下出血、硬膜下出血
陥没骨折、眼球の下の骨折、鼻、耳の骨折、眼球の下も、眉間の下…
首より上は骨折してないところがない。鼓膜も破れましたが再生するのですね!
大事なところを数ミリずらして、後数ミリずれていたら危なかったでしょう。
それに肋骨や鎖骨、右半身はボロボロだったみたいです。
脳が少し出て、脳に傷が入り、脳は豆腐が入った豆腐のパックを激しく振ったのと同じような状態で、集中治療室に3か月?程入っていたみたいです。
しゃべっていたりとかはしていたそうですが、記憶が戻ったのは6ヶ月後です。
それから、目の焦点はあってないし、気持ちのコントロールは効かない。
リハビリ、リハビリ。
自覚は全くありません。当たり前の状態だと思っていました。
気持ちのリハビリは受けた記憶はありませんが、心の事を学んでカウンセリングを受けたのがリハビリにもなったんじゃないでしょうか。
他にも水頭症になってシャント入れたり色々ありましたがキリがありません。
脳にざっくり傷が入り、再起不能。精神病院も空けています。
と言われていた高次脳機能障害の私が当たり前に、やりたい事を仕事にして、生活する事ができています。
諦めないで
親の心配。
その頃、佐賀の西鉄バスジャック事件があった時期だったのですかね。
私が、西鉄バスジャック事件の少年のみたいにならないか、とっても心配したそうです。
それを精神科医の先生に相談すると
「よしきは事故でなったんでしょ、それによしきは単純でしょ。なりませんよ。」と言われたそうです。
そうですよね、今でも単純ですけどね。
後遺症ではなく元々単純だったのに、輪を掛けて単純になったのか…
心配ですよ。
そりゃそうですよね。
その位、事故前と事故後では変化して、あえていうのであれば、知識は16歳ですし、身体も16歳。
だけど、感情のコントロールが効かず、赤ちゃん返りしたそんな状態だったそうです。
だから精神病院もあけています。と選択肢の一つだったそうです。
それでも精神病院には入れなかった
精神病院に入れなかったのは母が、元々養護学校の先生をしていて、精神病院は安全な場ではあるけれども、周りもそんな人ばかりで、社会で自立して生きていける様にはなるには適した環境ではないのではないか。
当たり前に一人で自立して生きていけることを願いもう一度子育てして頂きました。
16歳までは長男で、事故後は末っ子、二つの人生を経験しました。
感謝としか言いようがありません。
高次脳機能障害の御家族の希望の光に
そんな母は高次脳機能障害でも当たり前に暮らしている人も自立している人もいる。
そんな人を希望の光にしていたという話を聞きました。
それから私は、高次脳機能障害でも、自立して生きていける。しかもそれが自分のやりたい仕事でならなお良し。
事故や、脳梗塞で、家族が、高次脳機能障害になった方の希望の光になりたい。
それが私のひとつの目標でした。
どうやったら、当たり前に生活できる様になるのか?
事故前の頃とは別人です。それでも諦めずに、必要な時に病院に連れて行ったりというのも必要ですが、何よりも、親や、兄弟、友達。
が、離れていかなかった。
そこにあったのは、お金でも、名誉でも、地位でもない温かい愛情です。 温かい愛情これに尽きます。
地位や名誉、お金はとても便利です。
でも、補おうとしている何かは補いきれません。
高次脳機能障害になると人が変わって親兄弟も離れていく。そんなお話を聞いた事があります。
性格が全く違うかもしれませんが、諦めないで下さい。
どうにかなってます。
高次脳機能障害の人の御家族の方とっても大変だと思います。
愛情が大事。と言うのを読んで、私には愛情が足りないのではないかと御自分を責めて欲しいわけではありません。
どの位年月がかかるのかはわかりません。
でもそんな想いが温かい愛情なのです。
それが10年後、20年後。
私は事故から19年が経ちますが、高次脳機能障害当事者の礎になっています。
心理カウンセラーの仕事に出逢う迄
事故の後、同級生は大学に進学していたり、就職していたりしていました。
何か取り残されているような気がして、気が気じゃありません。自分に合う仕事はないか探しました。
理容室
理容室に見習いとして就職しました。
その理容室の方は私の事故のことを母から聞いて、理解して頂いていました。
今でも、気にかけて頂いています。本当に有り難いです。
前田愛さんからの告白!?
前田愛さんって女優で中村勘太郎氏と結婚された前田愛さんです。
「嘘やろうもん。」と言われます。
というのは理容室を辞めたきっかけで芸能事務所に入ることになりました。
それから俳優として、CMや舞台に出たりしていました。
そんな仕事の中セリフも多くて一番大きかった仕事が、前田愛さんのプロモーションDVDで告白されて振る役だったのです。
運が良かったのだと思いますが有難いです。
でも、私、演技下手なんですよね。
役柄はチャラチャラした役と、真面目な役の二役で、ラブレターをもらうけどお断りするそんな役です。
シャツは出してるけどネクタイはちゃんと締めて歩いてるのが私です。
普段も、事故をキッカケに幼少期くそマジメだった反動でその時期はチャラチャラしてると見せたい時期でもあだだそうです。事故前後の記憶は覚えていないことも結構あります。
ただ、事故前は長男で、事故後は末っ子。
それでも、シャツは出してるけど、タイはしっかり絞めてるじゃないですか。
今では「真面目を絵に描いたような顔してる。」なんて言われます。
チャラ男にはなり切れませんでした。
心理カウンセリングとの出逢い
芸能事務所にいた終わりごろに、本当に自分がやりたい仕事はないか探して、その頃よくして貰っていた、福岡の母みたいな人に電話を掛けたら、その人の友達が心理カウンセラーをしていて、心理カウンセリングという今の仕事に、巡り会うきっかけとなりました。心の事を学びカウンセリングを受けたのが、心のリハビリに繋がって、当たり前に生活する基礎の一つになった気がします。
それに高次脳機能障害はそれ以前より自分の心の問題が顕著に表れやすいのではないだろうか?と思うのです。
そんな時期にカウンセリングと出逢い自分の心と向き合うきっかけになって今があります。
こころの学びと出逢わなかったら、感情をコントロールする為に、抑えようとしていたはずです。
そしたら今頃、こんなに穏やかではなかったかもしれませんし、楽ではありません。
事故から、点と点が線になって今では当たり前にカウンセリングさせて頂いたり研修をさせて頂いたり、本当に有り難いです。
どんな事があっても、諦めない。これに尽きます。
時間はかかるかもしれませんが諦めなければどうにかなります。
今では天職と言える心理カウンセラーという仕事に就いていますが、上に書いた仕事以外にも心理カウンセラーだけで食べていけない時は潜水士もやっていましたし心理カウンセラーをやりながら心の関連事業を立ち上げたり色んなことやって今に至ります。
天職を見つける為にはいろんなことにトライする事ではないかと思っています。
人に恵まれて今の仕事をさせて頂いています。
ありがとうございます。
そんな御恩を還元できたら、少しずつ恩送りさせて頂いています。
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