NHKドラマ 洞窟おじさん
ほぼ実話に基づいたNHKドラマ『洞窟おじさん』を見ました。
小さい頃に虐待されて、洞窟で暮らして今を生きるのに必死だった頃は幼児期の事がフラッシュバックしたりする事はなかったけど、お金が余って、洞窟に戻って寝る生活になったら幼児期の事がフラッシュバックするようになった。
これを見て、社会制度や物資は豊かになって今を生きる事が当たり前にできる日本だからこそ、こころの病気がそんなに珍しいものではなくなってきてる要因の1つかなと思います。
それに、全く思い出さなくても幼少期の事って心の中に残ってるんですよね。
だからと言って、最低限の保証があるわけでもなく、今を生き抜く事に必死で、気を抜いたら明日生きていけるかわからないそんな生活を望むわけではありません。
我慢するのが勝ち。4話にあった言葉ですけど、日本らしいですね。
我慢我慢、昔はそれで良かったけど、物資が豊かになった社会でうまく、幸せに生きるには不都合が出てきたこれまで当たり前だった習慣です。
人と比較しない生き方
このドラマを見ていてふと思い出したのが、私がカウンセラーになりたての頃、アメリカで活躍する日本人心理カウンセラーさんのお話で胸に響いた言葉がありました。
自分より裕福な人、幸せそうな人と比べるのではなく、自分より下だと思う人と比べたら楽ですよ。
こんな感じのお話しでした。
人と比較する人に、認知の仕方を変える事で楽になる見解でお話しされたのかと思います。
勿論その時は、インナーチェンジングセラピーを広め師事する、倉成先生と比べて、こんなんじゃダメだ。
と、どんなに、その時なりに最善のカウンセリングを通してクライアントさんが楽になっても、ダメだダメだ。
と、自己卑下する感じを良く感じていて、比較するのが当たり前の私でしたので、本当だ!と感化されました。
比較するのが当たり前の社会
私が、度々ブログに書いていますが、立派な祖父、やり手の曽祖父と比較され、「あなたならできるよ。」と、言われ育ってきました。
自分より上の人、できる人と比べてこんなんじゃダメだ。
大人になって形を変えても、子どもの頃から、ずっと同じ事を繰り返しています。
日本の社会自体も、色んなところで比較してますからね。
それが、そんな幼少期を生きる上では最善だったけど、大人になっても続けるのは不都合です。
その先生から聞いた意識しながら、上の人と比べようとするのでなく下だと思う人と比べたりしていましたが、やっぱり、自己卑下する事は度々ありました。
そんな私の内にあるインナーメッセッージを、自分が楽に生きれるように決め直した事で、自分よりうまくやってる人や豊かな人を見て自分を卑下することはなくなり、自然と当たり前に生活できて良かったなとか、今の自分の事を認めれるようになりました。
アメリカで活躍される心理カウンセラーが言われた様な、大変な事を知った時とか、いまの当たり前の環境が有難いなと自然に思うことはありますが、比べるというより、上とか、下とかじゃなくて、同じ立ち位置で見れるようになってきました。
人と比べて評価しなくても、頑張れるし、人と比べないから本当にやりたい事をやりたい様にやることも出来る。
比較して卑屈にならない生き方ってとっても楽なんです。
意識して認知を自然と変えることが出来る人は良いのですが、良い事聞いても、うまくいかないそういう事って多いと思います。
心の気持ちが置き去りにされている事。
これだったら、自己卑下という気持ち。
そんな気持ちがスッキリしてもう2度と感じる事なくなったら、ストレスって減りませんか。
洞窟おじさんをみていて、意識しなくても自然と上とか下とか比較しなくて良い。
だいぶ当たり前になっていたんだな。そんな気がしました。
カウンセリングをしていると人にはそれぞれの人生にドラマがあって、その人生の主役はクライアントさん本人自身なんです。
そんな人生ドラマを、悲劇のヒロインで生きたり、人を見下して生きる事も出来るけど、本当に幸せに生きる事も出来ます。
諦めないで、あなたの人生あなたらしく幸せに。
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