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どんな事がカウンセリングできる?

「人に必要とされないと価値がない」と感じてしまうのは、なぜなのでしょうか?

カウンセリングに来られた、ある女性のお話しです。
クライアントさんに掲載許可をいただいております。

県外にお住まいの方で、佐賀に来る機会があり、AIで検索されてお越しいただきました。
時代の流れですかね。

「必要とされたら、自分の価値を感じられるのですね。」
「はい。必要とされたら、生きていいんだって思えます。」
「必要とされなかったら、どんな風に思ったり、感じられたりしますか?」

「いたらいけない。」
「私なんか、いない方が良い。」

その時の感覚は、相手の顔色をうかがい窮屈な感じとおっしゃられていました。

その感覚は、いつ頃からありますか。

現代的な部屋のフローリングの床にポツンと置かれた、寂しげなテディベアのぬいぐるみと子供用の手袋。夕暮れ時の薄暗い光が差し込む大きな窓辺とカーテン、我慢や孤独の感情を想起させる低彩度のセピア調デジタルアート。

家庭という逃げ場のない社会の中で、感情にフタをせざるを得なかった「3歳の記憶」。

3歳の記憶 —— 忘れていた小さな自分との再会

最初は、ピンとこられなかったようです。
でも、カウンセリングを重ねられ、ご自身のペースで気持ちに触れていく中で、ふいに、こう言われました。

「3日前に急に思い出しました。小さい頃3歳くらいです。」

幼い頃、お父さんとお母さんの仲は良くなくて、お母さんは心の余裕なんてないし、
色んな気持ちを、ずっと我慢しているお母さん。

だけど、たまにお母さんの機嫌でヒステリックになる。
そんなお母さんを、幼い彼女は毎日見て育っています。

子どもにとって、家庭がすべての社会だった

幼い子どもに、逃げ場はありません。
子どもにとって、家庭は社会そのものです。

大人には「夫婦の問題」と思えることでも、子どもにとっては、自分の世界そのものが崩れてしまうような出来事にもなります。

「家族が壊れてしまうかもしれない。」
「ひとりになることが怖い。」

小さい頃は受け入れてもらえない怖さはないと思ってたけど、カウンセリングを進める中で怖くて当然と感じられるようになられました。

「私なんかいない方がいいのかな。」
「私がもっといい子だったら、お母さんは笑ってくれたのかな。」

本当は、お母さんに甘えたかった。
抱きしめてもらいたかった。
「大好きだよ。」って、言ってほしかった。

でも、そんなことをお願いしたら、お母さんが困る。
お母さんは苦しそうで、そんなこと言ったら駄目。

感情にフタをして、「役に立つ私」を選んだ

色んな気持ちや欲求があるけど、感じないようにすることで上手いこと生き延びて来られました。
そして、彼女は、まだ小さい子供だけど子どもでいることをあきらめます

自分の感情にフタをして、お母さんの役に立つことを選びました。
お母さんの役に立てたら、お母さんが喜んでくれる。
そしたら、私はここにいていい。

「人の役に立てる私には価値がある。」

私なんかいない方が良いってずっと思うのは苦しいから、そんな人生のルールが、少しずつ作られていきます。

子どもの頃の家庭が、その人の社会のすべてでした。
でも、大人になっても、その社会は終わりません。
人が変わり、場所が変わっても、同じルールが動いている社会を、私たちは繰り返し生き続けます。
職場が変わっても。恋人が変わっても。
気付けば、また同じ苦しさの中にいる。

「必要とされること」が、生きる価値になっていないか

「たった一瞬でも、人から必要とされることで、生きている価値を感じられるんです。」

必要とされる瞬間だけ、自分の存在が許される気がする。

ひび割れて乾いた土の地面に、上から透明な一滴の水滴が静かに落ちて染み込んでいく瞬間。左側の乾いた質感から右側の水分を吸って濃く潤った質感へのグラデーションと、左上から差し込む温かい柔らかな光のクローズアップマクロ写真。

何もしなくても、ただそこにいるだけで満たされる「無条件のストローク(心の栄養)」の広がり。

「ストローク」とは
交流分析では、こうした人との関わりの中で得られる全ての人に必要な心の栄養を「ストローク」と呼びます。彼女が本当に欲しかったのは、何かをしたから貰える条件付きのストロークではなく、「ただ、ここにいるだけでいい」という無条件のストロークだったのだと考えられます。

必要とされなければ、自分には価値がない気がする。
その感覚を、彼女はずっと続けていたことに気付かれました。

その腑に落ちる感覚は、理屈じゃないんですよね。

これは、彼女だけの話ではありません。

仕事を頑張りすぎる人。
恋人に尽くしすぎる人。
家族の世話ばかりしてしまう人。

「必要とされること」が、生きている価値そのものになっている人は、少なくないです。

見ないようにしてきた、本当の気持ち

彼女がその場所で、幼い日に身につけた「役に立てば、ここにいていい」という生き延び方を、何度も確かめ、立証し続けていたのだと思います。
でも、その奥には、小さい頃に見ないようにしてきた大切な気持ちが隠れているかもしれません。

寂しい。
怖い。
苦しい。
お母さんが苦しそうなのが嫌だった。
理不尽さへの、腹立たしさもあった。
そして、本当は、

「お母さんに必要としてほしかった。」
「ありのままの私を、愛して欲しい。」

そんな願いがありました。

でも、その気持ちに触れることは、とても怖いものです。
だから長い間、見ないようにして生きてこられました。

思い込みの奥にあった、本当の願い

カウンセリングでは、その見ないようにしてきた気持ちを、クライアントさんのペースで触れていきます。
すると、「人に必要とされなければ価値がない」という、信じ込んでいた思い込みの奥にある、本当の願いが見えてきます。
本当は、愛されたかった。
ありのままで、大切にされたかった。
その気持ちを受け止めていく中で、少しずつ、人生のルールが変わっていかれます。

「人から必要とされるから、価値がある。」
ではなく、
「私はお母さんが喜んでくれなくても、価値がある。」

それは、誰かの評価ではなく、存在そのものに価値があるということです。

そんな感覚が、育ち始めます。
あなたにも、あなたの繰り返されるルールが、心の奥にありませんか。

すると、人に必要とされるためではなく、「本当は、何がしたいのだろう」と考えられるようになられたそうです。
そして、私が心からやりたい仕事って何だろうと探されて、私らしい人生を歩けますか?笑顔でそんなことをおっしゃられています。

「いたらいけない。」
「いない方が良い。」

そんな風に思うことが、なくなりました。
そう、彼女は話してくれました。

「解決した」ではなく、「どのくらい変わったか」という視点

もし10年くらい前、再決断療法を作ったグールディングの考え方でこの変化を見たなら、ここで「解決した」と言っていたかもしれません。
問題があるか、ないか。0か、100か。当時は、そういう見方をしていました。

でも今は、心理学の考え方も変わってきています。
再決断療法を学んだマクニール博士は、これをスペクトラム(連続体)として捉えます。
問題が「ある」か「ない」かではなく、どのくらいの位置にいるか、という見方です。マクニール博士の診断表にある考え方を、私なりの言葉に置き換えてお伝えしています。

彼女自身の感覚で言うと、カウンセリングに来る前の苦しさ、自分なんか生きている価値がないを100だとして、自分の人生を大切に、愛おしく思える状態を0としたとき、60くらいになったと言われていました。

40、楽になられました。
その40の分だけ、これまで蓋をしてきた気持ちを、当たり前に感じられるようになられました。
寂しさも、怒りも、悲しさも、怖さも。
そこまで向き合われた。それは、本当のことです。

それが感じられるようになった分、楽しさや幸せといった気持ちも、自然と広がっていかれたそうです。
これは、マクニール博士の言われる「感情の世界へようこそ」という考え方そのものです。

残りの60は、これからのための余白

残りの60は?
それは、足りないのではありません。

「いたらいけない」という感覚は、もう彼女の日常にありません。
残りの60は、これからの彼女が、自分の人生を大切に、愛おしく感じていくための余白なのだと思います。

朝霧に包まれた静かな森の木々の隙間から、幾筋もの黄金色の木漏れ日(光の筋)が放射状に差し込む美しい風景。上部には澄み切ったペールブルーから柔らかなピーチゴールドへと移ろう朝焼けの空が大きく広がり、圧倒的な空間の広がりと解放感を感じさせる風景写真。

「感情の世界へようこそ」 残された60は、これからの人生を愛おしく感じるための美しい余白。

幸せの幅が広がるということ

幸せとは、今、目の前にある当たり前のものを、自然と楽しめたり、喜べたり、有難いと感じられること。
見たくなかった気持ちも感じられるようになった分だけ、喜びや感謝も、同じだけ深く感じられるようになる。

その幅が広がること。それが、幸せの幅が広がるということなのではないかと、私は思っています。

彼女の物語は、ここで終わりではありません。

「いたらいけない」という世界を抜けた先で、彼女はまた、新しい心のテーマに出会われています。
次回は、その続きをお話しします。

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