昨日(7日)も心のことを学びに福岡へ。定期的に参加している心理学の学びの場です。
心理カウンセリングをさせていただいていると、悩みにはある程度共通した流れがあるように感じることがあります。
「ここが始まりだったのかもしれないな」
そんな風に思うことも少なくありません。
ですが、同じような悩みに見えても、一人として同じ人はいません。
以前、演奏家や職人の方がカウンセリングに来られてこんなことを言われました。
「カウンセラーって職人ですね」
そして、
「譜面を読んで弾くことはできる。でも、同じ楽譜を長年磨き続けてきた人の音とは深さが違う。音が軽いんです」
当時カウンセリングをさせて頂くようになった4、5年くらいで、その頃はカウンセラー一本では食べていけなかったので、職人のような仕事もしていました。重なるところもあって「何となくそうだろうな」と思ったのですが、改めて最近職人をされている方に同じことを言われた時、演奏家の方の言葉を思い出して、本当にそうだよなと思います。
知識も大事ですけど、深さは知識だけではないんです。
目次
自己一致という考え方
カウンセリングが終わってカルテを見ながら振り返っていると、ふと思い出したのが、カウンセリングの根底にある来談者中心療法の考え方でした。
来談者中心療法では、自己一致・無条件の肯定的関心・共感的理解が重要な要素とされています。その中でも、最近改めて考えていたのが「自己一致」でした。
自己一致(Congruence)とは、個人の体験・感情・意識・行動が一致している状態のことです。来談者中心療法においては、カウンセラーが役割を演じるのではなく、自分の感じていることと一致したあり方でクライアントと関わることを意味します。
もう少し噛み砕いて言えば、自分の内面で感じていることと、それを認識している自分、そして外に表れている自分が大きくズレていない状態と言ったら良いでしょうか。役割を演じるのではなく、一人の人間としてそこにいること、とも言えるかもしれません。
ただ、自己一致は単に「本音を言うこと」ではないと思っています。
- 本当は悲しかった
- 本当は腹が立っていた
- 本当は怖かった
そうした自分の思いや気持ちに気づいていく過程そのものが、自己一致なのではないかと思っています。
その為にも、カウンセラーとして学び続けることも大切ですが、それに伴い、自分自身もカウンセリングを受け続けています。
カウンセラーだけど、自分はカウンセリングを受けたことがないという方もいらっしゃるようですけどね。商品は売るけど、自分はその商品を使ったことがない。なんか不思議な感じがします。
私は、自分でも体験し続けることが自己一致やカウンセリングの深さという観点からも大切だと思っています。
自分の心を理解しようとする取り組みと、人の心を理解しようとする取り組みは、どこかでつながっているような気がします。
新しい世界が見えた体験
それがですね、先月マクニール先生のワークショップでカウンセリングを受けさせて頂く機会がありました。ありがたいとしか言いようがありません。
そのカウンセリングを通じて、私には「新しい世界」が見えました。
もともと私は、「本当に欲しいものが手に入らない」というテーマについて考えていました。そして、その背景には「欲しがるな」という禁止令があるのだと思っていました。
ところが、さらに深く見ていくと別のものが見えてきました。
本当のことを言うと相手とぶつかるかもしれない。
関係が壊れてしまうかもしれない。それが怖い。
だから本当のことが言えない。
そこには「成長するな」という禁止令も関係していた。そんな理解が腑に落ちた、「新しい世界」。
そして振り返ってみると、私の中で「欲しがるな」と「成長するな」は別々の問題ではなく、どこかでつながっていたのかもしれません。それまで見えていなかった世界が、少し見えるようになった感覚でした。
今後実践しながら、それでも怖くてなかなか言えないということがあるかもしれません。その怖さと向き合う過程も、それまで見えていなかった「新しい世界」です。
楽になる手前に苦しさがある。それはおかしいことではないし、その苦しさも一緒に見ていける安全な場所がカウンセリングだと思っています。
この人の新しい世界はどこだろう
そんな体験を経て、最近ふと思うことがあります。目の前のクライアントさんの、新しい世界はどこだろう。
カウンセラーの仕事は、新しい世界を見せることなのかもしれません。ただ、それは答えを教えるとは異なります。その人自身がまだ見ていない世界に出会うため、その人に合わせた、その人のペースでのお手伝いです。
カップルカウンセリングでこんなことが時折あります。
パートナーに連れられて来られた方でした。カウンセリングを進めていくと、パートナーの前では「変わると言っている」のですが、「変われたらいいと思う」という気持ちが少しずつ出てきました。
「なんで私ばっかり」
ずっと見ないようにしていた気持ちが。
それが感じられた時、私はそっとそちらへ向きを変えます。その方自身が楽になれる方向へ。
なかなかそれを言わない方もいます。そしたら1回目が終わる頃に、何となくそうかもしれないなと推測するしかありません。
「どうにかして欲しい」「変えてもらいに来た」という入口は外に向かっていて、どうにかできるのは自分の世界だけど、本当は自分の中に見ないようにしているものがある。
そこには触れたくないという怖い気持ち。私もあるな。同じなのかも。先月のマクニール博士のワークショップで気づいたことも、ずっとそこにあってわかってはいたけど触れようとしないものでした。
その深みに触れた、ワークショップの後は、
「この人どうしたら楽になるだろう?」というのは何となく浮かんできますが、
「この人の、まだ見ていない世界はどこだろう」と思うことが増えました。
そこを知れるように、もう少しこの話を聴いてみよう。もう少しここを一緒に見てみよう。
理屈ではわかっているしやっているつもりだけど、何かが見えてくるかもしれませんから。
学び続け、深みに触れていく
技法が大きく変わったわけではありません。これまでのやり方に、一滴のスパイスが加わっただけです。でも、その一滴が思いのほか深いのです。
学び続ける。自分自身もカウンセリングを受け続ける。そしてまた学ぶ。その繰り返しの中で、少しずつ深みに触れていく。
演奏家が音を磨き続けるように。
職人が技を磨き続けるように。
心理カウンセラーもまた、研究者であり職人なのかもしれない。そんな気がしました。
そして、自分の心って深いです。知識として幸せになるのはわかっていても、まだ見たくない世界があることも。
クライアントさんにも同じように、楽になりたいけれど触れたくないものがあり、見たいけれど見たくないものもある。
その葛藤の先に。その深みの先に。
まだ見ぬ新しい世界が広がっているように感じます。
なので私は、これからも学び続け、自分自身の深みに触れ続けたいと思います。
そして、クライアントさんと共に、その先にあるまだ見ぬ新しい世界を探していけたらと思います。
その先で、より楽に、より幸せに過ごせるように。
※掲載している事例や言葉については、掲載許可をいただいたうえでご紹介しています。






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