性格は決断の集まり

性格だと諦めてきたことってありませんか?

性格は生まれつきでしょうか?

生まれたての赤ちゃんがワンワンなく子もいれば全然泣かない子もいます。
生まれた時に気質的な違いはありますが、ハイハイしている赤ちゃんが失敗して、「ハイハイ出来ない自分はダメだ。生きている価値なんかない。」と思うでしょうか?

思わないですよね。

心理療法のページでうまく生きていく為に決めた事の集まりと書いていましたが、私たちの人生に大きな影響を与えている小さい頃に決めた決断。私達のこころの中のメッセージ、インナーメッセージ(禁止令)があります。

20年30年40年…とこれまで続けてきたのですが、性格は自分で決めた事の集まりなので自分で決め直す事ができます。それをピンポイントに再び決断し直す支援をするのが再決断療法を元にしたインナーチェンジングセラピーで、性格を変えるのに効果的な心理療法といわれています。

性格だと思って諦めてきたことや、ここが楽になったら変わるんじゃないかな?とご自身の性格を垣間見るヒントやきっかけにして貰えればと思います。

存在に関するインナーメッセージ(禁止令)

「存在するな」

あからさまな無視や虐待、親の不幸をまるで子供の側にあるように感じさせる言動。
とくに、親の自殺や、他人の死を喜ぶような態度。また、「お前さえいなければ、私達の人生はもっと良かったはずだ。」などのメッセージにより、「自分は存在しないほうがいい」と決断する。
今までに、自殺、自分は価値が無い、愛されるに値しないと思ったり、感じたりしたことがあるならば、同じメッセージが当てはまるとみていい。

「健康であるな」

その名の通り、この禁止令はしばしば健康でなくしてしまうものであり、それは意図したものでなく健康への無関心から起きることがある。(例えば、不適当な量のエネルギー消費など)また、無意識に病気になろうとする意志の結果として引き起こされることがある。病気になった時だけ、普段は与えられないストロークを与えられる体験から決断される。また、両親の病弱さや何度も入院する姿を目撃して決断することもある。
幼少期にはっきりとしたトラウマ経験を持たない場合が多く、むしろ好意的に扱われたと感じている。

「信頼するな」

彼らは自分がコントロールできる人と出来事を信じる。それに耐えられなくなることが明らかになるとき、彼らは絶望を感じ、恐怖のわなに落ち、そして自分自身しか信じないところに戻る。親から求めた愛情を得られなかった体験や親から傷つけられた体験から、「人は自分を傷つける存在であり、信頼は出来ない」などと決断することがある。人を信用できないという感覚を伴い、とうてい信用できない人を信用しては決断を強化する。

「正気であるな」

クレージーな行動をする時だけ、関心を集められたり、その真似を直されたりしないと、この行動自体の「正気であるな」というメッセージになる。精神病の親、親戚がモデルとなる場合もある。本来彼らの人生での大きな喜びの源であるはずの愛は、大きな苦しみの源でもある。この禁止令が存在するとき、そこには自分、他人、またその両者への憎しみと復讐心が存在し、そしてそれは親から過度に虐待的かあるいは厳格な方法で扱われたことを指し示している。

「触れるな」

身体的、精神的に優しく触れられなかったことから決断する。優しく愛情ぶかく触れられることによって、人は傷つきを癒していく。優しく、または愛情ぶかく触れられる事がなかった彼らは、触れられることが安全で心地よいものと認めない。それを認める事は、過去に接触を試みたけれどもそれが叶わず、自分が深く傷ついたことを認めてしまうことになる。その結果、温かさや思いやり、愛情などを軽視し、求めることなくまた拒絶しながら生きていく。傷つくことなく強く生きていくのである。

人間関係に関する禁止令

「近づくな」

親が、子供が近づくことを嫌がったり、避けたりすると、子供はこれを「近づくな」というメッセージであると解釈する。親しみを持っていた親が自分のそばからいなくなったりすると、「近づいたところで、何になるんだ。どうせどっちみち死んでいなくなるんだから。」と決断したりする。そしてニ度と、近づいたりはしないと決断する。虐待する親によっても決断する場合がある。他者に近づけない、他者と親密になれない、などの感覚を伴い、結果的に他者と不適切な関係を作ってしまうという場合も多い。

「愛着を感じるな」

親と健全な愛着関係を築けなかった体験から、愛着を伴う関係を求めることを回避してしまったり、愛着そのものに居心地の悪さや恐怖心を感じるようになる。愛情を回避するクライアントの中には、「自分が手に触れらないものはないと考え、手に触れられるものだけを執拗に求め続ける」と、所有欲を満たし続けるという行動を表す場合もある。また「愛着を感じるな」は存在に関する禁止令とコインの裏表のように並行的に存在することが多いと考えられ、その存在の裏には生存に関する禁止令のいずれかが存在する。したがって、生存に関する禁止令と切り離して、単独に扱うときは、十分な注意が必要である。

「属するな」

集団にいながらも、何故か自分だけ属していないような不安定さを感じる。また、社会的に集団生活をうまくやれない親の姿をモデルとして受け入れてしまうこともある。 この禁止令は幼少期の家の中で決断されることもあるが、小学校や中学校での仲間集団との関わりから決断することも多い。 集団の中で、居場所を見つけられないような感覚や居心地の悪さを感じることが多い。

「子どもであるな」

年上の子供たちに弟、妹の面倒を見るよう命令する親たちのメッセージにより決断しやすい。また、子供らしさを持つことを自分達に許さない親からも与えられることがある。わがままであることや自分の感情を優先することを回避し、他者の感情を優先させようとする。

「欲しがるな」

例えば「もし自分が欲しがると親や小さな兄弟に申し訳ない」と決断するかもしれない。また、生きる最低限のものすら与えられないような体験から決断する場合もある。自分の欲求を後回しにし、欲求を感じることや欲しがることを回避する。

自己に関する禁止令

「お前であるな(お前の性であるな)」

親が望んでいた性と違った性に生まれた子供に多く見られる禁止令で、「あなたが女の子(男の子)だったから、みんながっかりしたのよ。」などのメッセージによって決断される。男の子が自分は除け者にされて、女の子だけ(姉妹)が大切にされ、好きな物を何でも与えられているのを見てしまうと、この男の子は、「男の子であるな。でなければ、何もあげない。」と解釈し、このメッセージを受け入れてしまうかもしれない。またこの禁止令は、セックスアイデンティティを否定する決断とジェンダーアイデンティティを否定する決断という2種類があり、セックスアイデンティティの決断は生存に関する禁止令のカテゴリーに入ると考えてよい。ジェンダーアイデンティティを否定する決断は、男らしさや女らしさなど自身の性別らしさを象徴する属性を否定する決断となる。また「お前であるな」は、人格を構成する属性(知性、感性、創造性、芸術性、容姿、美しさ、運動能力など)について「お前であるな、他の子のようであれ」という形で否定的に決断される。

「離れるな」

子どもが離れることに恐れを抱き、子どもを思いのままにコントロールしようとする親からのメッセージによって決断する。「離れることはとても悪いことだ」「離れると私は(又は親は)生きていけない」などと決断する。結果的にこの決断は、自分の欲求と 他者のそれとのどちらを優先するのかについての葛藤を抱えていることも多い。この禁止令は、生存に関する禁止令の拮抗禁止令として働いている場合が多く、その再決断には十分な注意が必要である。

「見えるな」

目立つ存在になることが自分の身に危険を及ぼすことになると思う子どもが決断する。 また、目立つ存在になろうとしない親の姿を見て決断することもある。存在感の無さ、目立たなさが大きな特徴で、人並みであろうとしたり、みなの中で平均的であろうとする。この禁止令は、「考えるな」「感じるな」「行動するな」などの拮抗禁止令として働いている場合が多く、その再決断には十分な注意が必要。

「重要であるな」

“私は重要でない”という内的感覚に逆らうことによって、この禁止メッセージを持っている人は、対処行動として偉大になろう、そして最終的に重要になろうと駆り立てられる。彼らは尊大であり競争的である。「重要でなければ生きている価値など無いのだ」と感じた子どもが決断する。 または逆に自信が無く、例えばリーダー的な役割になったときにパニックになるなどの行動を示すこともある。いつも抑え付けられていて、自己主張が許されず、「お前に、そんな難しいことができるものか。」「お前の欲しいものは重要でない。」と様々な形で値引きされて育つ子に見られる。

「するな」

あれも、これも危ない。恐怖心の強い親たちによって与えられる。「いじってはダメよ。あなたは必ず壊すのだから。」「危ないから、ナイフで鉛筆を削るのは、いけません。」など試行錯誤や冒険的な行動を禁止する。また、子供がやりたいことや言い出したこと全てに対し心配する。子供は、「自分がすること、正しいこと、安全なことは、一つも無いと信じ込み、指示してくれる人を見つけようとする。

能力に関する禁止令

「成功感じるな」「(決して)成し遂げるな」

例えば、ピンポンゲームでいつも息子を負かしていた親が、息子が勝った途端に息子と遊ぶことをやめてしまえば、息子は父親から嫌われると思い、このメッセージを受け入れる。完全主義の親に絶えず批判されて育つと、「お前は、何一つきちんと出来ない。」と受けとめられ、「成功するな」と解釈される。この禁止令は、成功を達成しても成功したという達成感を感じない「成功を感じるな」と、もう少しのところで成功を成し遂げない「成し遂げるな」の二つがある。

「成長するな」「セクシーであるな」

子どもが成長し、自分の可愛く小さな子どもでなくなってしまうことを恐れる親が与えることが多い。「お前は末っ子で小さいからまだ、そんなことは出来ないのよ」と何でも親がしてしまう。子どもは、「成長しないほうが私は喜ばれる」と判断し、大人になることを拒否する。 「セクシーであるな」は、父親が娘に与える場合が多い。セクシーになっていく娘に嫌悪し、セクシーな振る舞いやセクシーな身なりを禁止するためである。娘は、成長すると(セクシーであると)、父親から愛してもらえ無いと解釈する。

「考えるな」「それについて考えるな」
「お前が考えることは考えるな、私が考えることを考えろ」

子どもが自分で考えることを値引きし、何でも親が考えて指示してしまうため、 子どもは考える事をやめてしまう。「周りがすべて考えてくれるから、私は考えなくていい」と思う。考えようとしても考えがまとまらなかったり、自分で考えることに自信がなかったりすることが多い。またこの禁止令は、自分が考えるように考えるのではなく、他者が考えるように考えるという決断パターンや、特定の物事について(例えば、お金のことを考えるな、セックスのことを考えるななど)考えられないという決断パターンなどがある。

安全(安心感)に関する禁止令

「楽しむな」

自由に楽しむことを許されない環境や、自らが楽しもうとしない親によって与えられる。楽しむことに罪悪感を感じたり、楽しむことをずっと後回しにし続けるなどという特徴が見られる。

「感謝するな」

この決断を持つ人たちは、人に対して不信、警戒、疑念、恨みを持つことを教えられ、もう一度同じようなことが起きないか疑心暗鬼である。その結果、人間関係は無味乾燥そうとしたものとなり、温かみを感じることができない。そのために、暖かさをいつも求め続けては、失望させられ、相手に対して批判的になると言うことを繰り返してしまう。

「感じるな」「お前が感じるようには、感じるな。私が感じるように感じろ」

感情を出すことを禁止される。また、ある感情のみ禁止される場合がある。それは、「悲しみを感じるな」「恐れを感じるな」「怒りを感じるだ」などである。「私が悲しいから、あなたも悲しいのよ。」などによっても与えられることがある。それは、「相手が感じるように感じる」と言うように、自分の感情が相手の感情によって決定付けられるというように表れる。

「くつろぐな(そして安全を感じるな)」

例えば、物心ついた時から頑張っているのが当たり前で、ゆっくりしたり、ダラダラすることに罪悪感を感じると言う環境下で決断する。 のんびりできない、ダラダラすることに抵抗があるという場合が多い。この禁止令は、生存に関する禁止令の拮抗禁止令として働いている場合が多く、その再決断には十分な注意が必要である。

心理療法について