22年のキャリアの心理カウンセラーが、40年抱え続けた「心の壁」を壊し、温かい幸せをひとつその後の人生に足した真実の記録です。
最近のお葬式で見えた、ある「凄さ」
2023年、お葬式に参列する機会がありました。そこでお歳を召された故人を送るために集まられたのは、仕事の付き合いとは全く関係のない、純粋な「友人」の方々でした。友人の挨拶、そして最後のお別れに集う人の姿。
それを見たとき、私は「仕事とか関係なく、そんな人が一人でもいるって、(凄い)・・・」と、なにかふと、心の中で思ったのを覚えています。
仲良くさせていただいている友人はいます。でも、もし私に何かあったとき、仕事とは無関係に駆けつけてくれる人が果たして一人でもいるだろうか?
そう自問自答したとき、私の脳裏には、随分前に見送った祖父の葬儀の光景が蘇っていました。
記憶の中にある、祖父の背中
私の祖父は、公務員として立派な役職を務め上げた人でした。かつて祖母が亡くなった際は、現役という程ではなくとも時々仕事に関わっていた祖父の傍らには、数えきれないくらいの参列者が並んでいました。
それから月日が流れ、仕事や役職という鎧を脱いで天寿を全うした祖父の葬儀。あの日とは対照的な「静けさ」の中にありました。もちろん高齢ゆえの事情もあったでしょう。それでも、現役時代とのあまりの「差」を目の当たりにしたとき、大好きな祖父が亡くなった時だけど、記憶の片隅に言いようのない寂しさを感じていました。
「肩書きや利害関係が消えたあと、一人の人間として最後に何が残るのだろうか」
祖父の葬儀で感じたあの静かな衝撃が、時を経て、2023年の葬儀での思いと繋がり、私の中で気付かないうちに「親密さの渇望」が浮き彫りになりました。
22年のキャリアの裏側にあった「見えない壁」

正しさに隠れて遠ざけていた「親密さ」。その見えない壁が、今ゆっくりと解けていきます。
私は心理カウンセラーとして21年以上、3,000件以上の臨床を重ねさせて頂いております。確立された心理療法と、長年の経験。そんな私に、私にはずっと苦手なことがあったようです。「情緒的なかかわり(親密さ)」です。どこか「カウンセラー」という役割に隠れ、本当の親密なやりとりから自分を遠ざけていた——そんな気がします。
それからしばらくして、マクニール博士のワークショップで、「友人とより親密になりたい」というテーマでワークを受けることが出来ました。技術向上のためという名目でしたが、それ以上に「本当の意味で人と人と親密な関係を築きたい」と願う自分が、葬儀を通した体験の先にいたのです。
「I love you」という再決断
ワークの最中、「友人はいる。」という私に、マクニール先生はこう言いました。
「その友人に好きって言った?」
「言ってない・・・」
「僕に『好き』って言ってみて。」
いやいや、世界的権威の大先生ですよ・・・、そんなことを言うなんて、おこがましい。勇気がいる。葛藤し、溢れる感情を抑えられなくなりながらも、私は「マクニール先生、好き!」と伝えました。
そしたら、先生は「like?」と反応されました。私は意を決して、伝えました。
「I love you(大好き)」
先生は「I love you too」と返されたと思います。その瞬間、私を40年もの間縛り付けていた「近づくな(Don’t get close)」という禁止令の最終段階が、改めて振り返るとなくなってるのです。
悲しさを当たり前に感じられる「有難さ」
あのワークから2年半。今では大好きな友人に「大好きだよ!」と、当たり前に伝えられています。照れくさそうに笑いながら、嬉しそうにしてくれる友人の顔を見るたび、「ああ、良かったな。」と、幸せが一つ増えました。
このコラムを書きながら、私は今、号泣しています。祖父を思い出し、ワークのことを記して、今わかったことがあります。「本当は、もっと近くにいたい。仲良くしたい。」心の中にずっとあった、けれど麻痺させて見ないようにしていた「悲しさ」が、今、堰を切ったかのように溢れ出しているのです。
この悲しさを、当たり前に感じれて、涙を流せること。普通なように感じる方もいるかもしれませんが、かつて悲しみを感じないようにしていた私にとって、「有難い」んです。悲しみを感じられるからこそ、今を生きている。そんな気がします。

痛みも、悲しみも、あなたの温かさに。あなたが「大好き」と言えるその日まで。






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